■メタバースを作る=「神になる」?
セッションの冒頭では、豊田氏から各登壇者に「メタバースを作るということは、いわば“神になる”みたいなものなのでしょうか?」という質問が投げかけられました。
それに対して加藤氏は、「ユーザー側の期待値の高さは、自分の欲しい世界を作れるという点からきている」としつつ、「それはおこがましいこと」だと答えます。
「clusterは極めて古典力学的な観点で設計されていて、全ユーザーに同じ物理法則が適用されます。もし、ユーザーごとに物理法則が違うような世界を作ることができたら、そこで初めて“神になれている”と言えると思っています」
藤井氏も、「1人ひとり違う世界を作る」ことが大切だと加藤氏に同意します。
「世界は内側からできているので、外からの設計で考えても人の本質に到達することはできないと思っています。人の中にうまく入り込むシステム設計やプラットフォームを作りたいですね。現時点のメタバースは意識的な部分を中心とした範囲で止まっているので、そこをいかに無意識と接続するかが課題です」
■無意識と身体性の関係は?
藤井氏の発言をきっかけに、話題は「無意識」に。現在のテクノロジーは無意識を扱えているのか、無意識を技術に落とし込むにはどうしたらよいのかというテーマに対して、三宅氏はアバターの動きを例に説明しました。
「人の動きを違和感なく受け止めることができるのは、瞬きや体の微妙な揺れといった要素があるからだと思います。もし、メタバース空間内でアバターが直立不動で話していたら、何かおかしい、何か足りないと感じはずです。これは無意識が受け取っている情報です。こういった情報は現実空間からメタバースに移したときに丸ごと削げ落ちてしまうので、メタバース内で一つずつ補完していく必要があります」
加藤氏は、“無駄”と“贅沢”という切り口から次のように話します。
「結局、メタバースでやっているのは、人と繋がることや人の存在を感じることに過ぎません。買い物をする場合でも、ECなら最安値の商品を探してすぐに購入が完了するのに、メタバースの世界では空間内にショップを作って、ウィンドウショッピングをしています。つまり、“無駄”であり“贅沢”です。そこにどんな無駄や贅沢を足していくのかがポイントになると思います」
さらに三宅氏は、オンライン会議とメタバースの違いを例に、無意識について次のように解釈します。
「空間と身体を介するのが無意識だと考えています。オンライン会議が疲れるのは、相手の画面との間に空間がないからです。相手に近づいたり遠ざかったり、位置関係を変えたり、視線をそらせたりといったことができませんよね。これらは皆、ほぼ無意識に行われている行為です。この無意識の自由度がオンライン会議から失われているものだと思っています」
■身体性・場所性は復権するのか?
物理的に場所を移動する必要なく、自分の好きな外見で好きなコミュニティに所属できるメタバース空間で、身体や場所という概念がどのような位置づけになっていくのかという議論について、三宅氏は「身体性や場所性の価値はもう一度復権する」と予測します。
「動物には縄張りが重要です。人間も何だかんだ言って動物なので、自分の場所を求める欲求があると思います。例えばメタバース上の土地は、増やそうと思えば無限に増やすことができますが、それでも所有することで満たされるものはあるはずです。これは人類が初めて得た新しい空間ではないかと思っています」
そして加藤氏は、さらに大胆なメタバース空間のあり方を思い描きます。
「clusterもそうですが、現状のメタバースは設定がリアルに引きずられ過ぎていると感じています。1人の人が1体のアバターになって、そこには2本の腕がついている。そういった概念に縛られずに、誰かから右手だけ借りる、周りにいる人の目をちょっとずつ借りるといった世界があってもいいはずです。そういった発想を持ったプラットフォームを抽象度を上げて実装していきたいと思っています」
そして三宅氏と藤井氏は、メタバースの未来をそれぞれ次のように語りました。
「メタバースは結局からっぽの空間なので、その中で現実と繋がることで初めて価値があるのではないかと考えています。つまり、現実の情報集約装置として、Twitterで情報を集めるような感覚で、インターネットに接続して最初に入る場所がメタバースという感じになっていくかもしれません」(三宅氏)
「僕は体や脳の限界を越えたいという思いを持っています。自分の境界を越えて溶け出して、誰かと混じり合うような体験をしたい。現実空間を介してそれができたら本当に素晴らしいのですが、やはり身体の壁は越えることができません。そこを越えていくようなテクノロジーを作りたいと思っています」(藤井氏)